ちいさな傷跡
ラダトに、年に一度の祭りがあるという。
激しい戦闘が続き、疲労しきっていた同盟軍だったが、小さな区切りがつくと、最近特に塞ぎがちなユーリィの姿が嫌でも目についた。
放ってはおけない。
そう言って最初に動いたのはやはりビクトールだった。年の若い仲間を集めた大広間で、ラダトの祭りを見物にいこうと屈託のない笑顔で言う。
ナナミやチャコやアイリは大喜びしたし、軍師も強く止めはしなかった。
そして、皆の視線を集めたユーリィは、小さな笑顔でこう答えた。
「皆が、行くのなら・・・・・・。」
その日は朝から城全体がうきうきとした雰囲気に包まれていた。少女らは皆、ヨシノたちが仕立てた浴衣に身を包んで可憐な事この上ない。
「急に大人っぽくなったアイリちゃんもいいし、メグの若草色も捨てがたい。ミリーちゃんのちょっと子供っぽいとこも堪んないし、髪をアップにしてるテンガアールなんて、ヒックスなんかにゃマジで勿体ないって!
んでナナミ、ありゃ化けたねぇ!驚いたよ。くぅーっ、みんなカワイイなぁ〜!」
長々と一人一人を評して回るシーナ自身も、鴬色の浴衣が様になっている。
「懐かしいですわ。昔父に手を引かれてお祭りに行った時の事を思いだします。
それにしても皆様本当によくお似合いだわ。仕立てた甲斐がありました。」
嬉しそうにヨシノは微笑んだ。
「よぉし、みんな準備はいいかー!?」
実は一番嬉しそうなビクトールも、しっかり焦げ茶色の浴衣に身を包んでいる。傍らではフリックが濃紺の浴衣姿で溜め息をついていた。軍師より子守役を仰せ遣ったのだ。
「待って、あのね、さっきからユーリィの姿が見えないの!」
ナナミの声にビクトールが眉を顰める。
「・・・・・・まあ、まだ時間あるしな。もう少し待つか。」
ナナミは可愛らしい金魚の柄の浴衣に見を包んでいた。髪に小さな花を飾り、少しだけヨシノに化粧もしてもらって、シーナの言う通り、普段のお転婆娘はすっかり影を潜めている。
「最初に見せたかったのになぁ。どこ行ったんだろ、ユーリィ。」
ナナミは薄く紅をひいた唇を尖らせて呟いた。
その頃、レストランに魚を届けた帰り、浴衣姿の娘たちに目を楽しませつつ船着き場へ戻る途中で、ヤム・クーは妙な気配を感じて立ち止まった。柱の陰でごそごそと何者かが蠢いている。
「・・・・・・何やってんですか?」
声を掛けられたその物体は驚いて飛び上がった。そしてしっかり、ヤム・クーと目が合った。
「ヤム・クーさん・・・・・・。」
驚きの表情のまま、ユーリィは小さく呟いた。
ユーリィは酷い格好をしていた。
えんじ色の浴衣に袖を通してはいるものの、帯の位置も裾も目茶苦茶だ。
「だ、大丈夫です!ごめんなさいそれじゃ!」
慌てて走り去ろうとするユーリィを、まあまあ、とヤム・クーが窘める。
「そんなに急がなくても。着替えるなら、俺の家を使ってもいいですよ。」
ユーリィは自分が半端にいつもの服を着たままだった事に気付いて赤くなる。
何か言おうと口を開きかけたが、少し考えると、やがて小さく頷いた。
「慣れないと、一人じゃ着られないでしょう?」必死で帯と格闘するユーリィの、襟元を背後から整えてやりながらヤム・クーは言った。
「うん、自分でできると思ったんだけどね。」
はぁー、と溜め息をつく。
それを見てヤム・クーは微笑むと、正面の袷を直し、帯を締め直してやった。
「・・・ありがとう。」
「苦しくないですか?」
ヤム・クーの問いにユーリィは小さく笑顔で頷いた。
「本当はヨシノさんがやってくれるって言ったんだけど・・・・・・。」
裾を整えていたヤム・クーがその言葉にふと目を上げた瞬間、袷から覗く大きな赤黒い傷跡が目に入った。
「・・・・・・見られたく、なかったんだ。みんな、心配すると思ったから・・・。
あ、でも、もう随分治ってきたんだよ、ほら。」
明るく言って、袷を開こうとするユーリィの手を、ヤム・クーがそっと押しとどめた。
「・・・・・・・・・痛かったでしょう。」
静かな口調だった。
「・・・・・・もう、平気だよ。」
「誰にも知られないように我慢するのは、普通に怪我した時より痛い筈です。」
ユーリィは沈黙した。ヤム・クーの手が酷く冷たい。
言い訳しようと、思い口を開く。だが、出てきたのは素直な言葉だった。
「・・・・・・・・・・・・・・・うん。」
泣きたいような気分だった。
「うん、凄く・・・・・・凄く痛かった。」
傷を負ったのは一週間前。鍛錬の為にナナミと二人でモンスター退治に出かけた時の事。
負ける筈のない相手だった。しかし、不意を疲れてナナミが眠らされてしまい、そちらに気を取られた隙に、爪で切り裂かれた。
自分で処置を施し、ナナミを起こして、城に戻った時、怪我はありませんかと軍師に問われ、思わず首を縦に振った。
何故だかはわからなかった。
その程度のモンスターにやられた事を知られたくなかったからか、周りに心配をかけたくなかったからか。
「俺はね、ユーリィさんみたいに大変な立場でもなんでもなかったけど」
傷を気遣ってか、帯の位置を直しながらヤム・クーは言う。
「でもやっぱり、怪我した時は隠しました。知られたくなかったんですよね。恥ずかしかったのもあるし、心配かけると思ったのもあるし。
辛かったですよ。痛ぇし、気は遣うし、最悪でした。で、結局バレたんですよ。
それでね、思い切り殴られました。」
ユーリィは驚いて目を見張った。それを見てヤム・クーは微笑む。
「でも、安心しました。俺は物凄い単純なガキだったんで、その時に思ったんです。
隠してたけど、本当は気付いてほしくて仕方なかったんだなぁ、ってね。」
ユーリィは反射的に、何故だか浮かんできた涙を拭った。ヤム・クーは気付いていない様だった。
気付かない振りをしてくれているだけかもしれない、とユーリィは思う。
「うん、わかる。よくわかるよ。」
「そしたら、次からはちゃんと言うんですよ。もしナナミさんが、ユーリィさんに怪我を内緒にしてたら、辛いでしょう?」
ユーリィの顔色が変わった。
「い・・・・・・嫌だ、嫌だよそんなの!」
思わず声を荒げて、はっと思う。
「そっか・・・・・・そうだよね・・・・・・。」
ヤム・クーはユーリィの頭をくしゃっと撫でた。
「はい。できました。もう皆待ってますよ。」
「うん、ありがとう。」
ユーリィは笑った。先程までより幾分明るい笑顔だった。
「えへへ、似合う?」
「ええ、よく似合ってます。」
二人は顔を見合わせて、また笑った。
「ありがとう。それと・・・あの・・・次からはちゃんと言うから・・・・・・」
「判ってますよ。今回の事は内緒にしておきましょう。」
ユーリィは笑顔で大きく頷いた。そして、からころと下駄を鳴らして駆けていく。
おっ、カッコいいねぇ、などという船乗り達の冷やかしが飛んだ。
その背中を見送りながら、あんなに小さな、あんなに頼もしい背中があるだろうか、とヤム・クーはぼんやり思う。
夕暮れの夏空はよく晴れていた。爽やかな風が吹いていて、気持ちが良かった。
「あ、きたきた、おそーい!!もう、待ちくたびれたよ!」
「ごめんごめん。」
ユーリィは微笑んだ。
「凄いね、ナナミが可愛く見える!」
「どういう意味よー!」
ナナミの顔を正面から見たのは、随分久しぶりの様な気がした。
そして、やはり安心した。傷はもう、全く痛まなかった。
<完>
ああああ!もう本当にごめんなさい!
なんかもう、アレですよね、頂いたリクエストと大分違いますよね!本当に私は締めが苦手だなぁ、と痛感いたしました。
本当にお目汚しですみません。
そして、書かせて頂いてありがとうございました!
<鮎沢 祐理>
こんなお素敵文章をお書きになる鮎沢さんの漁師メイン小説サイト
「口笛は月への港」はこちら!!
そしてこのお話のシーンを
描かせていただきました!
拙作挿絵はこちら。